たまに食べると、白米はうまい
昨日の国会図書館との会談は、けっこうタフな交渉になった。事情により急遽ピンチヒッターとして出席したので、何の予習もしていなかった。事業部長として「いるだけでいい」と思っていたのだが。
議論はNDLサーチだけではなく、公共図書館へのデジタル配信に及んでいて、ぼくは来年からはじまるこのサービスの画面を初めて見た。配信されるのは、今まで国会図書館内限定サービスだったものらしい。新刊書店にないものということだ。この配信画面の端に「古書データベースで探す」というリンクつき、いくつかボタンを押すと「日本の古本屋」へ到達するそうだ。
それはそれでありがたいのだが、ぼくの個人的な希望は「近代デジタルライブラリー」である。公共図書館への送信より、一般送信の方が重要なのは言うまでもない。実際に近デジの一番人気とされる「エロエロ草紙」は国会からの配信が起爆剤となって復刻版が出た。デジタル配信されることにより、現物の価値が下がるかもしれないが、ほしいと思う人が増える効果もあるのだ。是非、近デジの画面にも「現物を手に入れる」というリンクを付けて欲しいものだ。
ペットボトルの水が売れなくなるからといって、水道の普及を止めることはできない。ペットボトルの水の方は、より安全で美味しくすることで対抗するしかない。僕らが水道屋さんに望むことは、蛇口に「美味しい水」への誘導を付けさせてくれ、ということだ。それによって、水道は「水がまずい」と文句を言われなくなるし、利用者にとっても良いことだろう。
公共図書館への配信が実現すれば、次は一般配信に進んでいく。数年、あるいはもっと早い時期にそれは実現するかもしれない。我われは、こんな過渡的な画面にではなく、最終利用者に到達する画面にこそ「現物へのリンク」を付けるように要求するべきだ。
図書館は、本のコンテンツだけを気にしている。我われは本の価値がコンテンツだけではなく、メディアにもあることを知っている。デジタル配信によって、本は誰にでも見られるものになるだろう。しかし、古本屋で手に入る本は「見られるだけではありません。触れて、部屋に飾ることもできます」。本の価値は多様なのだ。
などと考えながら、本日の宅買は2件。両方とも、故人の蔵書を少しずつ片付ける作業で、何度目かの訪問である。佐藤店長と一緒に出発。松月庵で佐藤店長はカツ丼、私はもやし中華そばを食べてから一軒目は郷土史など1500冊。2階から階段を運んでいるうちに、評価していない本が混じっていることに気づく。別に置いてあった本も、処分したかったようで、お客さんが移動してくれていた。運びながらの査定で、加算して支払う。
店には置くところがないので倉庫に降ろして、2件目に到達したときはすでに日が傾いていた。廊下の両側にある本棚に入っているのだが、三重になっているので出しながらでないと見られない。私は左、佐藤店長は右と分担して出していったのだが、最終的な価格決定で齟齬が生じ、いったん玄関を出て話し合う。差は1000円なのだが、別に計算していた全集ものを含めるかどうかの違いだった。千数百冊ほど。
いったん店に戻って、帰宅。息子一号がつくっておいてくれた味噌汁と、佐藤店長転じて女房殿がマッハで作った肉のオリーブオイル焼き、ベビーリーフのサラダ。ご飯は息子一号が炊いたので、三分づきではなく白米。たまに食べると、白米はうまい。