水道の蛇口あたりに「もっとおいしい水」の広告を出したい

きのうは一日中市場(古書会館)にいたのに、よみた屋の出品物を確認していないとは何事かと、女房殿にしかられた。売れ残った品物の処理は息子一号に任せきりだったし、非常に大量に出品されていた日なので、展示場所によって値段がかなり違っていたはずだ。ちょっとぐらい自分の店の仕事をしたらどうなのかと。
実際に現場を見ていないので何とも言えないが、置き場所によって札の入り方が違うのは事実だ。競合商品はなるべく最初に開札するところへ、珍しい物は最後の方へ置くのが原則だし、千点ぐらいが出品されているので、ジャンルごとに適した場所になければ見落とされてしまうこともある。
古書会館にはいたが、会議室に籠もりきりだった私は市会の方へは全く顔を出していなかった。
じつは先日も、理事を引き受けた2年間と「日本の古本屋」事業部長をしている今年1年間の帳簿を見せられた。この3年間は毎年貯金が減っている。以前と比べると差引500万円の損害である。
古書組合は、共同で出資して共同で運営する「組合」だから、持ち回りで役員をやらなければいけない。軽い役や非公式の役まで含めると、全体の三分の一ほどが何らかの役員をしていることになる。休眠組合員のような人もいるので、割合はもっと大きいかもしれない。後を継ぐ人がいないのに投げ出せないので、もし全然やらない人が多かったら、一度かかわった人はずっとやりっ放しになってしまう。
業界の役なんか引き受けたら、そのぶん自分のエネルギーがもっていかれるので、バリバリ仕事をしている人ほどやりたくないだろう。しかし、業界や市場の恩恵に与っている人は、何年に一度かは少し損をしても役員をやったらどうだろうか。運営の舞台裏を担えば、後できっと役に立つと思うのだ。
午後からは「日本の古本屋」事業部長として国会図書館の方と面会がある。国会図書館がデジタルライブラリーとして貴重な書籍の電子配信を始めた。「業界に配慮する」とのことだったが、古書業界は実際に事業が始まるまで何の相談も受けてこなかった。図書館と共に絶版書の普及流通に勤めてきた我われを出版流通業界の一員と認めていなかったのだとしたら寂しい。
電子配信がどんどん増えることは止められないだろう。ペットボトルの水が売れなくなるからといって、水道の普及を止められないのと同じだ。ペットボトルの方は、もっとおいしい水にして商品価値を高めるより無い。これからは本の映像がネットで見られるのは当たり前になるので、「見られるだけじゃない! 触れる、本棚に飾れる。日本の古本屋」と。ぼくらの望みは、水道の蛇口あたりに「もっとおいしい水」の広告を出したい、ということだ。
さて、本日のブログは朝の内にすませて神田に行こう。お店はやっているが、今日は私の公休日である。