常に時代の先端だった高原書店

よみた屋店主は、町田の高原書店で古本屋の修行をした。
大学3年だった1984年にアルバイトとして入社、
翌年には話題になった町田駅前の店がオープンした。
卒業後もそのまま残って、1992年までの合計8年間を高原書店で店員として過ごした。
高原書店の社長は、古書業界の人脈とは離れたところで古本屋を創業し
先端を駆け抜けて、去年惜しくも亡くなった。
この文章は、古本業界誌「古書月報」(東京古書組合発行)に書かせていただいた追悼記事なのだが、一般に販売される物ではないので、ここに再録する。


   常に時代の先端だった高原書店
 晩年、というには早すぎたかもしれない。2005年12月7日、突然のように高原社長はその生涯を閉じた。61歳であった。
 亡くなる前年、中央線支部の旅行で多くの古書店主たちに囲まれていた社長の姿が目に浮かぶ。古書店はまだまだ社会に必要とされている存在なのだから、生き残るための工夫をすることが経営者たるものの使命なのだと、社長は熱く語った。リサイクル型古書店とインターネットの影響で、東京郊外の「街の古書店」は壊滅に近い打撃を受けていた。いち早くネット古書店へと変貌していた高原書店の思想に、やっと時代が追いついた瞬間であった。
 高原書店は現在自社サイト「高原ブックサーチ」に30万冊、アマゾンに80万冊という日本最大規模のネット在庫を持っている。しかし、初めから目録中心の古書店であったわけではない。
 高原書店が創業したのは1974年、最初は町田市役所前の10坪程度の店舗であった。まずは神田に事務所を借りて組合に加入し、半年間の準備を経ての開店だったという。社長はこの店で古書販売に関するさまざまな実験をしたらしい。
 すでに大量出版時代が始まるころである。おそらくすぐに時代に対応した古書店を構想したのであろう。77年には200メートルほど駅に近い場所に20坪の支店を開店し、一般書の販売を開始した。いわゆる古書的な本ではなく、一般読書人を対象にした商材と、「全て定価の半額」という販売方法は、いわゆる新古書店のビジネスモデルを10年も先取りしており、当時としては画期的だった。しかし、古書市場での取引状況と非常に乖離しており、業界内での評価はあまりかんばしいものではなかったようだ。
 80年には支店の向かい側のビルの2階に本店を移した。25坪の店内は専門書中心の品揃えだった。フローの支店に対して、ストックの本店という位置づけだったと思うが、「文化遺産としての古書を次の世代に残す」という理念は、古書店だけで実現するものではなく、読者と一体になった流通機構全体の役割だと考えていた節もあり、正確なことはわからない。
 同時に数十坪規模の支店や長期催事を近郊にオープンした。私が入社したのが1984年、その翌年には、町田本支店を統合して、駅前のビルに180坪の「ブックバザール」が誕生した。売り場の真ん中にエスカレーターのある大型古書店の話題は、出版流通業界にとどまらず、社長のもとには連日新聞や雑誌の取材が来た。当時は大規模店舗法の規制があって、店内の一部を売り場ではない「古書の情報サロン」としたことも評判になった。
 当時の社長の口癖は「古本屋は売り場面積が、絶対的に不足している」であった。毎年大量に出版される本を陳列するには古書店は大型化するほかない。潜在的な需要に業界は応えていないという認識である。
 このブックバザールは主に専門書をあつかうAフロアと主に一般書・雑誌・まんが・文庫などをBフロアとからなり、Bフロアでは雑誌以外は全て定価の半額で売られた。当時多くの古書店で店頭の均一などで販売されることの多かった一般書が、ここでは非常によく売れた。無価値だと思われていたものも、大量に集めることで、輝きを放った。
 印刷部数の多い一般書をあつかえば当然余る本が出てくる。普通はツブシたり安売りしたりするのだが、社長はそういうことをほとんど許さなかった。
「ベストセラーは多くの人に受け入れられてたくさん売れたのだから、必ず時期が来れば生き返る。君たちが思っているほど無価値ではないのだ」
 余剰在庫は倉庫に積み上げられた。そして、同時に在庫のデータベース化が始まった。当時は紙の目録を作ることが目的だったと思う。しかし、これが後のインターネット時代への布石となった。
 大規模店で一般書を販売する方法は業界のトレンドともなった。とくにバブル崩壊後は不動産が低価格化して、出店しやすくなったので、駅前に一般書を中心とする支店を作るのが流行した。一方で、リサイクル型古書店にモデルを与えてしまったようにも思う。
 私もそのころ独立した。やっと仕事を覚えたばかりの私が独立したいと言ったとき、社長は非常に怒っが、同時に
「普通は、古本屋を初めて七年間はカップラーメンで過ごさなければならないけれど、その期間は高原書店で過ごしたから、初めから食えるよ」とはげましてもくださった。
 一九九九年、ブックオフが最大規模の直営店を同じ街に出店した。本を次世代に残すべき文化遺産と考える高原書店の店頭販売は、チェーン店が体力勝負で仕掛けてきた戦いによって、大きな影響を受けることとなった。
 翌年、社長は糖尿病を発病。二〇〇一年、一五年間営業した町田本店は駅から五分ほどのビルに移転した。横浜店・新宿店などの店舗も順次撤退し、現在はインターネット販売に重点を置くようになっている。
 社長を次いだ婦人の陽子さんの話によれば、現町田店は一階から四階まで合わせれば以前の店より広いけれども、売り場と言うよりも「買取の基地」なのだとか。在庫は徳島の二カ所の倉庫にある。倉庫の面積はあわせて一五〇〇坪以上。稼働在庫は一〇〇万冊を超えているが、それ以上の未整理在庫があるという。
 売上は「日本の古本屋」やアマゾンなどの検索サイトが中心だが、今後は主力を自社ホームページの閲覧に移していきたいとのこと。
 高原社長は一般書販売・大型店・ネット古書店と三〇年間時代の先端を走り、先端のまま逝ってしまった。古書業界は未だ模索の時代を抜け出せないでいる。もうしばらく道を示していてほしかったと思う。
           澄田喜広