新書を読むシリーズ「社説対決・五番勝負」諏訪 哲二,森永 卓郎, 戸高 一成, 長山 靖生, 桜井 裕子, ラクレ編集部 中公新書ラクレ

新書を読むシリーズ「社説対決・五番勝負」諏訪 哲二,森永 卓郎, 戸高 一成, 長山 靖生, 桜井 裕子, ラクレ編集部 中公新書ラクレ
読売新聞社に買収された中央公論社の社説対決シリーズである。
教育再生、ホリエモンと村上ファンド、北朝鮮と安全保障、靖国と歴史認識、ジェンダーフリーの5つのテーマをそれぞれ別の著者が執筆している。今までは読売vs朝日の一対一対決だったが、毎日・日経・産経を加えて、5社対決のバトルロイヤルである。とはいえ、やはり主眼は朝日をこき下ろして読売を持ち上げるという、今までどおりの展開で、5人の著者に書かせているが、同工異曲(ではなく、異工同曲か)である。あんまり予想通りの展開過ぎて、かえって説得力がない。朝日や他の新聞だって、読売と同程度にいいことが書いてあるはずだし、読売にだって朝日にあるような矛盾がないはずがない。多くの人をあるていど納得させつつ、社会の矛盾をそのまま受け止めざるを得ないのが、多数に売るための新聞の宿命だから。
なかでは、最後の「ジェンダーフリー」を扱った桜井がおもしろかった。
ここではジェンダーフリーはジェンダー(社会的性差)をなくすこと(フリー)、男らしさ・女らしさの否定、子供を男の子らしく・女の子らしく教育するのを拒絶すること、つまり「性別否定」であるとされている。
「フェミニストたちの目的は、若年層の人格破壊と、とうとうと流れてきた歴史や伝統文化の全面否定を通しての国家解体にある」「フェミニズム思想に、『男も女も同じように働く』という生き方を『固定観念を見直した正しい生き方』として押しつける全体主義的傾向が潜んでいる」「彼らの思想的ルーツの共産主義」「左翼勢力が牛耳る国連の女性差別撤廃委員会の勧告に従わなければならない道理はない」
さらに、桜井によれば、フェミニストは、過激な性教育を通じて、性的な羞恥心をなくし、援助交際を含む性行為を青少年に奨励することをもくろんでいる、ということになる。
「男女の差異を認めない考えは、フェミニズム論としてもかなり古い」という読売新聞社説や、「(ジェンダーフリーという言葉を)使うなと言われたら、『男女平等』という言葉を使って、置き換えればよいのです」「ジェンダーフリーという言葉は研究者の言葉ではない。私は使ったことがありません」という上野千鶴子のことばを引用しながら、「『男女の差異を認めない考え』は、ラディカルなフェミニズムの根幹をなすもの」と言い募るのはどうしたことだろう。
ぼく自身は、引用や反論をのぞけば、アンチ・フェミニストからしかジェンダーフリーということばを聞いたことがない。性差を最小化しようという運動は、70年代までのもので、80年代以降むしろ女性の持っている身体性を価値として再確認しよう(エコロジー・フェミニズム)、男性とのセックスは究極的には強姦か売買春かのどちらしかないので女性同士で愛し合おう(レスビアニズム)、さらに進んで、男性とは決してわかりあえないし性差別もなくならないので、別々の社会を作って別れて暮らそう(性的アパルトヘイト)というような方向に進んだ。
それに、この論考はほとんど各新聞の社説と関係ない。ただヒステリックにフェミニストを攻撃しているだけである。何なんだこれは。