呉智英『つぎはぎ仏教入門』
本日の出張買取は2件。きのう休んだので、机の上に未処理の書類や、スタッフの手に負えない未整理の本が溜まっている。それを何とか片付けて、息子一号と出発。昼飯は松月庵でカツ丼ご飯半分。
棚には戦前戦後の本もあったが、全集や講座ものなど古書的な価値が低いものが多く、むしろ段ボールに入った最近の本が評価の大半である。10箱あったが、スカスカしていたので、300冊程度。古い本と合わせて500冊。
2件目は主にまんがとヴィジュアル・バンドのグッズ。こちらも500冊ほど。
店に本を降ろして、息子一号がざっと仕分けしてくれる。ここのところ、棚がさびしくなっている思想関係の本をここ数日でずいぶん仕入れたので、その値段付けをしたいのだが、出張買取の間に、またまた机の上に色々なものが現れている。それを片付けて、何とか目標の本を数十冊だけ値付けした。
宅配買取の箱が溜まっている。なんとか、二箱だけ開ける。7時半帰宅。先に帰っていた息子一号は、なぜか女房殿の作る飯を食べずに、カップ焼きそばをかき込んで店番に戻る。その飯は、イワシの丸干し、カボチャと卵のサラダ、ニンジンの細切りサラダ、貝柱のスープ。
夜の供は呉智英『つぎはぎ仏教入門』。「仏教を含むいかなる宗教も信じてはいない。ただ、宗教の文化的・社会的意義を認めている」と述べる呉智英は、「仏教の再生を強く望んでいる」ので、「そのためまずなすべきことは、~仏教の社会参加や葬式仏教からの脱却ではない。第一に教理の原理的検討、これである」と主張する。呉の言う仏教教義の原理とは、釈迦の言説に基づく仏教、すなわち阿含教典の事である。歴史的に変形してきた祖師仏教(宗派を開いた人の教えによる仏教)ではなく、いわゆる原始仏教(本書では初期仏教)の立場から、現代日本の仏教界や仏教理解を批判的に捉えている。そして、現代日本を含む世界を席巻している価値観であるキリスト教(呉は「愛の一元支配」と表現する)に対抗しうる宗教として、「諸法無我」による愛の否定を唱える仏教に思想的意義を見ようとする。
最近、釈迦の思想を仏教の伝統から離れて理解しようとする思想的試みが流行している。呉の主張は、阿含教典によっているが、南伝仏教を称揚するものではないようだ。