仕分けのために神田へ

来週だった中央線支部機関紙の取材を、勘違いして今日待ち受けてしまった。30分待って音沙汰がないので、仕分けのために神田へ。いつもは息子一号に任せているので、珍しいね今日は何で店主自ら仕分けなのと、みんなにきかれた。
すでに息子一号とMT子が、お店で封筒まで付け終えている分を、所定の位置に陳列し終え、本日の仕分けを始めようとするところだった。ちょうど台の上に縛ったまま並べ終えた本の、紐を切るところから参加。社会科学、宗教、人文書と大雑把に分類し、各々白っぽいものと黒っぽいものの山を作る。本来なら、まず高くなりそうなものを抜き出して、後は大山にするのだが、大学研究室の片付けものだから、特に高くなるものはない。全ての本が「それなりの」値段になるように大きめの切り分けだ。
市場で本を取引する場合、一冊ずつで出品した方がいいのは万単位が付くような高い本のみだ。普通は、10冊から100冊ぐらいをひとまとまりにして一口とする。取引自体にも手間と費用がかかりリスクもあるので、ある程度をまとめて単位にした方が効率が良いのだ。しかし、ある業者にとって扱える本と扱えない本が混ぜられていると、一方しかね踏みしないので出品者は損をする。だから、買い手のターゲットを絞って、そういう人が欲しがりそうな本をうまくまとめていくのがテクニックだ。頻繁に市場に出入りして、誰がどんな本を買っているか知っておくことが、よい出品者になる近道である。
一通り分類したところで「エチオピア」のカレーを食べて、MT子を店に帰して入札用の封筒を付けるのは、息子一号。そこまでは順調だったが、第二弾の洋書では苦戦した。
ドイツ語の本が多く、著者の名前に心当たりのある本はいいが、そうでないものはどんな本なのか皆目わからない。それでも、神学や哲学の本が主なので、なんとか見当を付けて細かめに仕分け。出品用の品名は多少いいかげんな翻訳で勘弁してもらい、今度は封筒を書く役割を僕がやる。ジョージ・ルーカスとルカーチ・ジェルジは似ているとか、ハンガリー人だから名字が先なのだとか話している内にすでに夕方。こんなに調べるんだったら、市場に出すより自分でお客さんに売った方がよかったなどと軽口。
疲れたので、心を静めるためオーディオ・ユニオンに寄って機械を眺める。富士通テンのタイムドメイン理論スピーカーの音をしばし聴いて帰店。夕飯は、女房殿、息子一号と三人で李朝園。