段ボール26箱と、37箱。
仕入れた本を整理していると時どき本にお金がはさまっていることがある。市場で買った本の場合は、出品した書店が所有者であるはずがないので、そのままいただくが、お客さんから買い取った本の場合は連絡してお返しする。
先日も6万円入っていた。何度か買いに行っているお客様で、しばらくすると自分の本がどうなったか様子を見に来ることがわかっていた。早めにこちらから電話をするようにと言っておいたのだが、連絡するよりお客さんが店に来られた方が早かった。そこで、スタッフが気軽に入っていたお金を渡していたが、それじゃバレそうになったから返したみたいじゃないか。もっともったいを付けてありがたがらせて渡さなきゃ。
今まで経験した中での最高額は二十数万円である。このお客さんは通信の買取でお金は振り込みだった。もちろん、取引が終わるまでは連絡が取れていたのだが、お金のことをお話ししようとして電話をかけても留守電になるばかりでいっこうにつながらない。「どうしてもお伝えしたいことがあります」と留守電に何度か入れたが2週間しても音沙汰がない。仕方がないから、黙って銀行にそのお金を振り込んだ。さすがにこのお金は何だときかれると思ったが、それでも何の返事もなかった。これは落ちのない話である。
落語にあるように、「いちど渡した金はそっちのもんだ」とかおっしゃるお客さんに行き当たったことはない。
今朝は、昨日からの続きで大学研究室の本の整理。思想書などが多かったはずだが、実際に一冊ずつ確認すると文芸書もかなりある。宅買で数百冊以上あるときは、一冊ずつ足し算しても憶えきれないし伝票を書いていたのでは時間がかかるので、1000円の山、5000円の山というように積んでいって後で積算する。店頭での買い方とやり方が違うので、ズレが出ないように、たまに後で店頭方式の査定をやり直して確認する。今回の買取は、少し高く支払いすぎたかもしれない。ただ、核心の仏教書などはまだやっていないので、結論を出すのは早い。
一目見た感じで思想書が多いのに、じつは文芸書がかなりある理由は、全て帯が取り外してあるからだ。思想書や学術書には帯がないものが多いが、文芸書には必ずある。デザインも帯があるのを前提にしていることが多い。そんな中に、島田雅彦の『悪貨』という本があった。これをパラパラやっていて驚いた。中に福沢諭吉が挟まっているではないか。おお、と思ってよく見たら0円となっている。偽札型のしおりであった。最近の島田雅彦は実にくだらない。
今日の宅買は二軒とも店の近くである。
昼飯はラーメンピリカ。私は味噌ラーメンだが、息子一号は油そばというのを頼んだ。ぶぶかとは違い、ごまだれの担々麺のようなものだ。それに魚介割りを付けてくれる。支払いの段になって、領収書をもらったので素性が知れた。ピリカのおばさんはよみた屋の向かいのマンションに住んでいるのだという。カウンターにいた男性も同じマンションで、「よく利用するよ、こないだも本を売りにいった」「それは、どうも毎度ありがとうございます」さっきまで客だったのだが急に逆転した。
一軒目は引っ越しの段ボールに26箱。ギッシリと詰まっていたのは主に「フィガロ」や「料理王国」などの雑誌類。体積は車半分を超えたぐらいだが、グラビア雑誌は重いので排気筒を地面にこすりそうである。いったん店に降ろして次に行くのだが、予め予告した時刻に間に合いそうにないので、私だけ徒歩で次のお宅へ。
こちらはやや小さめの引っ越し段ボール37箱。中味は文学全集など。しかし箱の底の方に背を上にして一列並んでいるだけなので、出してしまえば体積は半分以下になる。僕ら本屋の習慣では表紙を上にしてぎっしり詰めるのが一般的だが、最近の運送は丁寧で箱をつぶしたりすることはないだろうから、このようにやるのもいいかもしれない。引っ越し屋さんの仕事だそうだ。
入っている分量が少ないので、持ち上げても重くない。それでいて、逆さにしない限り箱の中で本が動くことはないので、痛むこともないだろう。
店に戻ると、一軒目の雑誌を積み上げて店長が渋い顔をしている。置き場所がないので、いつもは掃除用具を置いている所をかたづけて身長の高さまで積んだのだ。市場に出したとしても、運賃になるかならないかなのに手間がかかってしまった。その上、100円均一でもなかなか売れない文学全集などを車に満載だから、渋い顔にもなろうものである。
ヘトヘトになったので、定時より30分早く帰宅。気付け薬として女房殿に500円のワインを一杯もらう。風呂に入ったら、ぐてんぐてんになった。夕飯は生シラスのアヒージョ、エビとホタテのキノコ焼き、オイルサーディンのサラダ、野菜スープなど。だが、疲れすぎて食欲なし。
古本屋講座の原稿11月分を送って、今日はおしまい。