私の家はどこでしょうか
休みなので、寝坊。ブランチは女房殿オリジナル、ドライトマトとボルチーニ茸のペペロンチーノ。午後から店に行って次の特集の準備。
夕方、古書通信社主催の古書セミナー。第一回は銅版画研究家の森澄氏による「司馬江漢・亜欧堂田善の初刷・後刷・異版について」。古書業者対象で実物を見ながらやるという。どういう人が集まるのか恐る恐る行ったが、私以外はそれ系の専門書店ばかり来ていて恐縮した。
作家ごとの元刷りと後刷りの見分けなどは私には高度すぎたが、江戸期銅版画の概要がつかめた。木版と違って、銅版画が高値にならないのは、国際的評価による、という点もよくわかった。木版画は日本独自の技術だが、銅版画はヨーロッパの技術の移入なのだ。画題、技法ともにまねの域を出ないようだ。では、なぜ銅版技法が必要とされたかというと、おそらく木版より遙かに細密な描き込みができるからだろう。よって、解剖書の図譜や地図などによく利用されている。全体を木版で作った本に貼り込んだり、付録として貼付されていたりする。司馬江漢の「輿地全図」も「輿地略解」という本の付録だ。
店に戻ったら閉店間際だったが、あまり疲れたので、閉店作業はスタッフに任せて帰宅。その途中、70代と思える女性に声をかけられた。帰る家がわからないらしい。この辺にいれば助けが来ると思ったのだが、と言う彼女は自分の名前もわからない。それなら、連絡先を書いたものを持たされているはずだと思い、何かありませんかと尋ねる。首をかしげるので、天気の話などをしながら、3度目に聞いたらやはり電話番号を書いたブザーのようなものを持っていらした。ああ、これでお宅に連絡できますよと励まして携帯を取り出したところに、ご家族が自転車で現れた。よかったですね、これで安心ですね。とお別れした。
焼酎を三杯飲んだところで、女房殿が食洗機を開いて叫ぶ。あさ、汚れた食器をセットして洗剤をいれたまま、スイッチを入れ忘れていたのだ。しょんぼりして就寝。