武蔵野班の班会があった 1
武蔵野班の班会があった。その班会で、古書組合の活動に関する問題提起があったので少し考えてみる。
古本屋には組合というものがあり、この古書組合が「市場」を運営している。本の世界は非常に広いので、古書店には自ずと分野により得意不得意がある。文学書中心の店では理工書は売れないだろうし、学術書の店では漫画を置く棚もない。お客さんからの買取が多い店もあれば、売りの方が勝っていて本がたりない店もある。そこで市場が必要になってくるわけだ。
市場は正式には「交換会」といい、もともとは知り合い同士が本を持ち寄ってお互いの品物を売り買いしたことから始まった。東京でも各地で行われたらしいが、こういうことは規模が大きいほどいいので、大きいところは周辺の散発的な交換会を吸収して、永続的な組合を形成するに至った。
それが、神田や池袋、五反田など各地にいくつかできたのだが、戦後になってついに東京で一つの組合に統合されて、すべての市場が直轄直営と言うことになった。古書会館などの資産も東京組合に併合された。
昔は交通機関も限られていたため、地域に古書会館とそこで行われる市場があることは重要だった。バブル崩壊前までは車を持っている業者の方が少ないぐらいだったのだ。しかし、最近では古書店の集中度も弱まって各地に広がったし、運送の手段も発達したので、大規模な神田の市場に品物が集中するようになった。
市場というのは、品物が高くなるのが良い市場だ。というのは、品物が安いところには誰も出品したがらない、少しでも高いところに品物は集中する。古物のオークションだから、安いからと行って同じものがたくさん売れるわけではない、本は高いところに流れるのだ。買う方も、何でもいいから買いたいというわけではない、ある特別な一点があるかどうかなのだ。その際、値段はどうでもいいというわけではないだろうけれども、珍しいものなら高くても何でも、手に入れることが重要だ。ほかに誰も持っていなければ、売値は利益が出るように決めればいいのだから。
そのようにして、もともと地域の組織の寄り集まりとしてできた古書組合は、「古書組合」というなんだかわからない市場の運営主体と、市場が存在するという前提で組合に入ったお客さん感覚の組合員の集まりのようになってしまった。
しかし、実際には組合の行政も、市場も、新しい事業であるインターネット日本の古本屋も、すべて組合員のボランティア的な活動に担われている。組合は本質的に互助的な組織だ。ある部分は自分にとってメリットがあるから参加、ほかの部分はデメリットが多いから不参加、ということでは互助組織は成り立たない。力のある部分、余裕のあるときには人に力を貸し、足りない部分、苦しいときには人の力を借りるというのが「共同組合」ということだろう。