寄席:新宿末広亭に行くの巻 前編

とても寒い日である。朝から雨が降っている。小やみになるが、また降り始めて一日中雨。
仕事は昼までで切り上げて、新宿末広亭へ。出発時にすでにお腹がすいてしまったので、まずは吉祥寺の花まるうどん。きのうの市場で資料物が想定の2倍以上になったので、ちょっと奮発してかけ小(100円)に海老入り掻き揚げ(120円)を乗せ、更に大根のおでん(95円)をを付け加える。
吉祥寺では男も女も、首に細いマフラーを巻いている。寒いので、僕もあれが欲しい。電車は空いていたので、長い椅子の左から2番目に座った。あの椅子は、7人掛けにできている。座る位置に的のような物が描いてあったり、3人と4人の間に継ぎ目があったりして、7人で座ってください、とアピールしているのだが、厚着の季節になってくると、ちょっと狭いのも事実だ。
電車はだんだん混んできて、座席は埋まり、その前に一列、つり革の人が並んだ。僕は左にグッと寄ったのだが、一番左の男性の体が大きめだったせいもあって、右隣の空間は狭めになってしまった。空間の向こうはスーツの男性、その向こうはブーツにデニムパンツを詰め込んだ女性である。そこに近づいてきたのは、髪の短い中年の女性である。細身のジーンズに裏地の綺麗なハーフコートを羽織っている。
彼女は、しかし、隙間に一歩踏み入れることはぜず、座席の前に立ち止まってしまった。たしかに、彼女の骨盤の幅から考えれば、その席に座るのはむりがある。だが、座りたいという意思を見せれば、みんな詰めてくれるはずだ。右側のサラリーマンだって、意味もなく若い女性に身を寄せるのは気が引けるが、反対側にも座る人があるとなれば、開いていたわずかな隙間を埋めるのに躊躇ないだろう。
だが、目の前の女性がそこに立ち止まってしまえば、場は動かなかった。他にも、座りたい人はいたかもしれないが、人が立ちはだかってしまったので、誰からも隔絶された空間だけが残ったのである。
僕にも覚えがある、疲れによってわずかな希望に吸い寄せられて、その場所まできたが、最後の一押しができずに、しかし、完全にあきらめて離れてしまうこともできずに、ぐずぐずと留まってしまう。ちょっとした人の動きがあれば、うまく収まったかもしれない。が、この椅子の6人は誰一人立ち上がらなかった。人が座ろうと思えば座れなくもない、しかし、座るにはちょっとした図々しさが必要なその場所は、新宿駅まで、ずっと人に拒まれたまま沈黙していたのである。
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さて、新宿に着くと、誰もが薄着をしているのに驚いた。吉祥寺とそんなに気温が違うとも思われないのに、多くの人がミニスカートを翻し、大きく開いた襟もとからキャミソールのひもをのぞかせている。防寒よりファッション優先ということか。去年は上着の腰についたベルトを後ろで結ぶのが約束だったが、今年は抜いてしまうのがはやりらしい。ベルト通しだけがむなしく残っている人を何人かみかけた。
新宿駅から末広亭までは徒歩10分といったところだ。雨が降っているので、地下道を通っていくことにした。しかし、折悪しく便意を催してきた。ではデパートのトイレを借りることにしようと、末広亭にほど近い伊勢丹百貨店に入った。
入り口は昔のように、小物の売り場ではなく、ルイ・ヴィトンだがエルメスだか知らないが、とにかくそういう海外の高級ブランドのショップになっていて、天井は3階分ほどの高さ。照明は暗く、通路は広い。おまけにメンズは別の建物になってるらしく、お客さんは着飾った女性ばかりである。とても、これから寄席に行く男が、膝掛けの入った頭陀袋を片手にうろうろする場所ではない。
だんだんに緊急度を増してきて、形相もこわばり、あせっているので歩幅も広くなってる。余談だが、ガマンしているときに走るとよけいに腸が強く訴えかけてくる、しかし、ゆっくり歩いていたのでは間に合わない。だから、自然に競歩のような歩き方になってしまう。運動すると腸の働きが活発になるからなのだろう。
それでも、むせかえるような匂いの化粧品売り場を抜けて、階段の途中にあるトイレを見つけた。折悪しく、2つある個室はどちらもオキュパイドである。階段にあるのだから、上の階も同じだろうと尻を押さえて駆け上ったが、そこには女性用しかなく、さらに上へと導かれた。やっとの思いでたどり着いたら、今度は清掃中である。
しかも、掃除しているのは年期のいった人ではなく、20代後半かせいぜい30歳ぐらいの女性である。いったい、トイレ掃除をしている人は、中年以降の場合やせた人が多い。しかし、若い場合にはやせた人はほとんどいない。これはどうした相関からの結論なのだろうか、 などと考える間もなく、しかたがないので、その若い掃除婦に「入ってもいいですか」と頼むがはやいか、横をすり抜けて個室に入った。水音を忍ばせつつ、用を足して事なきを得たのである。
女性トイレを男性が掃除するという例は少ないであろう。男性トイレを女性が掃除するのは普通だ。男性トイレの方が無防備で、個室によって守られない場合もあるのにである。おかしな事だ。
その後、コンビニでチョコとおにぎりお茶のボトルを買って、末広亭にたどり着いたときは、昼席中入りの少し前、中トリま絵の奇術のとyちゅうであった。そのお話しは、後編で。