古本屋らしい古本屋
最近古本屋をはじめた人、特に若い人たちの多くが「古本屋らしくない店をめざす」とか、「正直、自分を古本屋と思っていない」とか言っている。
どうも、「古本を扱う店」をやるのはいいのだが、「古本屋」はかっこわるいと思われているようだ。美しい本が綺麗に並べてあって、床はフローリング、棚は可動式で、月に一度はイベントスペースに変わる。店員は扱っている本の大半を読んでいて、さながら本のソムリエのように、愛想良くお薦めの本を説明してくれる。そんなの場所は、きっと「古本屋」と呼ばれてきた物とは異質な何かなのだ。
ではそこで言われている古本屋らしい古本屋とは、いったいどんな店だろうか。
じつは僕も独立したころ(90年代前半)同じように思っていた。その頃の古書店のイメージとは、狭い・汚い・本が積んであって下の本は見えないし、ひどい場合には通路がふさがって中にはいることもできない・奥で本を読んでいたおじさん風の店主が、こちらが何かに触ったとたんジロリと睨む、というような感じで「ああは、なるまい」と思ったものだ。
当時すでにそんな店は廃れはじめていたのだが、いまはもうないんじゃないか。最近ではどこの古本屋も綺麗になったし、店番しているのも、たいていは、エプロンをつけたお兄さんか女の人だ。うちの店も、そんな感じで、床はフローリング(もともとそうなっていた)、レジの人は立って接客している。
けれど、昔からの「古本屋」と変わらないこともある。本がいっぱいあること。本の山で通行不能、というほどではないけれど、とても読み切れないぐらいの本が(約5万冊)店頭にひしめいていて、未整理の本があちこちに積んである。滅多に仕入れられない、貴重な本を、内心「売りたくない」と思いながら棚に並べていること。本を買いに来る人は、僕が大切に集めた本を収穫していく狩人なのだ。
新しい店ができると、本が少ないので驚く。あんなのでいいのだろうか。確かに、選び抜かれた本だけを置けば、よけいな雑音なしに棚づくりができる。でも、古本屋って、もっと猥雑で混沌とした所であるはずだ。本の世界は、一人の人間が秩序づけられるような、そんなすっきりしたものではないのだから。
それに、古本屋の品揃えは、いまここにあるものだけではないのだ。入荷して、売り切れて、また入荷する、そのサイクル全体が品揃えだ。今日いい本がたくさんあっても、来月来てみてまったく変化していていなかったら、おもしろい本屋とは言えない。
などと、考えるうち、すっかり古本屋の思考になっている自分に気づいた。そして、思う。最近は古本屋らしい古本屋が少なくなってきたな。よし、僕はこれから「古本屋らしい古本屋」をめざそう。