司馬遼太郎『木曜島の夜会』を読んだ

前日にヨガの眠りで一日中寝ていた(昼頃1時間だけ起きて女房殿がつくっておいてくれた総菜を温めて食べたのを除くと、夕方までベッドにいた)のだが、朝起きられなかった。それで、二人で開店するはずのパートタイムの一人が風邪でダウンしていることに気づかず、一人で開店作業をさせてしまった。

きのう突然のように北海道から帰ってきた息子2号に急遽アルバイトを頼んで、レジに立ってもらう。初めて家族4人だけで店頭に立つ。「なかなか楽しいな。大学やめて、一緒に店をやるか」と2号を誘うが、断られた。

夜は若旦那がひとりで店番。

司馬遼太郎『木曜島の夜会』を読んだ。

表題作は戦前にオーストラリアの島に移住してダイバーとして白蝶貝を採った日本人たちの物語と、その末裔が島の習慣である夜会に「私」が招かれる話しが奇妙につながった中編である。

残りは、富永有隣、大楽源太郎、小室信夫という幕末の志士のようでありながら歴史に居場所を持たない人物に関する、随筆とも小説ともつかない短編が3つ連なっている。おそらく、「花神」などの幕末維新ものを計画する過程で、作品に採用されなかった人物を点描風に描いたものだろう。いわゆる司馬史観に組み込まれていない分だけ、むしろ人間的な点をこまやかに描いている。

不思議な取り合わせの一冊になっているが、木曜島のダイバーたちが戦争を挟んで、社会的な居場所を失ったことを考え合わせると、後継者を持たずに忘れられた人々を懐かしむ作品集であるのかもしれない。