私は誰よりも本を愛する男である

気になる古書店はという問いに、3軒の同業者を挙げたのだが、質問者はその答えが意外だったようだ。共通点は、3者とも経営が個々の本への愛に汚染されていないこと。たぶん、その共通点は通じなかったと思うが、説明は求められずに他の話題に移ってしまった。
古本屋をやっていると「本が好きなのでしょう。好きでなくてはできない仕事ですね」などと良く言われる。たいていの商売人は、自分の扱う商品を愛しているだろう。自分が良いと思わないものを他人に売るのはむずかしい。しかし、農家が1本のネギに特別な愛情を注がないように、ブティックのマネキンが1着のドレスに執着しないように、本屋も1冊の本を偏愛することは業務を全うする上であまり足しにならない。
私は川端康成の「片腕」が好きだが、そのことと古本屋の仕事とにはあまり関係がない。田川健三の『イエスという男』を何度も読み返したが、店でそれを山積みにして売っているわけではない。私がちょっとした本好きだと自認するのは、そういう個別の本に対するこだわりを持っている点ではなく、本という文化を尊敬していることによる。
本を開けば数千年前の人の声が聞こえるのだ。人が何か月もの時間をかけて考えたことが、折りたたまれて、片手で持てる小さな直方体に収まっているのだ。本屋は、そういう不思議な物体が数万冊も積まれていて、自由に買っていくことができる空間だ。
本を開けば、想像もしなかった世界への旅ができる。自力では決して到達しなかった考え方の変化をもたらす読書がある。その本を閉じたあとには、我われが生きている現実の世界の意味も変わっているのだ。そういう経験をさせる本という文化、書物という存在を私は愛す。
本をたくさん買いたいから古本屋になった。本に囲まれて過ごしたいから古本屋をやっている。私より偏愛する本を多く持っている人はたくさんいるだろう。私より読書量の多い人もたくさんいるだろう。だが、私は本に埋もれて生きるために古本屋という職業を選んだ。古本屋に人生をかけているのだ。その意味で、私は誰よりも本を愛する男である。
古本屋にも「自分は本を読まない」と公言する人がいる。だが、そういう人ほど、個別の本への愛に汚染されていないので、本に対して公平で、どの本にも尊敬を注ぐことができる。客としてみれば、とても素敵な本屋だったりするのだ。
本日は宅配買い取り3人分。大きめの11箱で1000冊ほど。キリスト教の本が充実。持ち込みは少なめで300冊ぐらいか。本を買うほど楽しいことはないが、買い取った本を整理して売っていくのは一苦労である。年金支給日だから、セットものの工学書などが少し売れた。よみた屋は高齢のお客さんが多いのだ。