一般の人に本を壊させるような、文化的損失をともなう野蛮な政策を即刻やめろ

本日の出張買取は4件ある。高円寺、西荻、練馬、三鷹。きのうは宅配買い取りをだいぶ残してしまったので、店に着くなり二箱と一箱を査定し始める。それらを何とか終えて11時に息子一号と出発。運転は一号。高円寺は地下室と聞いて恐れたけれど、普通の階段があり、品物も文庫などだったので助かった。
次は西荻なので昼食は「坂本屋」と思ったが、あまりに並んでいるので断念。まだ連休中なのを忘れていた。「ひごもんず」で野菜ラーメン。
西荻はカント全集、ニーチェ全集、宮沢賢治全集など。ちょっとずつ足りなかったりするのが残念だが、サルトルなど売れそうな単行本もある。
練馬は戦前に南洋で開拓をしていた方の本。マレーの農業統計などおもしろそうなものもあるが、屋根裏にずっと置いてあったとのことで状態が悪いのが難点。別の部屋に掛け軸も置いてあるのが眼に入った。40本ほどあり、査定している時間がないので、こちらはとりあえず店に持ち帰らせていただき、審美眼に優れた店長に査定させてもらうことにする。息子一号が軸を上手に取り扱うのに驚く。さすが明古で鍛えられているだけのことはある。
車が一杯になってしまったので、いったん店に降ろして、私の運転で再出発。三鷹は高齢だが上品な女性のお客様。遅くなったことを詫びてから本を拝見する。
三鷹市では、本を古紙として回収するときに「本から表紙を外すこと」を要件としているらしい。もりろん、古紙として再生するためには堅い表紙を取り外して中の紙だけにしなければならないのだが、これは普通古紙業者の仕事である。古紙の集積所(ヤード)には必ず古本屋が出入りしているので、貴重な本があればここで救われる。古紙業者にしても、紙にするより本として買われた方が圧倒的に高くて得なので、必ず一度は古本屋に見せる。
ところが、元の持ち主の所で表紙を取り外してしまうと、どんな貴重な古書があっても、全て廃棄されてしまうことになる。持ち主はいらないからこそ古紙に出すのだろうから、躊躇なく壊して捨ててしまうだろう。しかし、その判断は世の中の必要性に基づいたものではなく、本人の主観の中だけの判断だ。
判断の間違いが問題なのではない。間違って当然なのだ。本を残すべきか、廃棄してしまってもよい(求められる以上に本がある)かの判断は古書店人と愛書家にしかできない。しかも、単独の古書店人ではなく、古書店人と古書店人、古書店人と愛書家の間で取引されることで、その判断は実現されるのだ。
そういう手間を経ずに、元の持ち主に本の表紙を取り外させてしまえば、後世に残すべき文化遺産を失うことになる。三鷹市行政官は、三鷹市民の家には次の世代に残すべき本などないと判断しているのか。
三鷹市は、一般の人に本を壊させるような、文化的損失をともなう野蛮な政策を即刻やめるべきだ。
というような話しをしているうちに7時を過ぎた。店に帰る途中、家の近くを通ったので、息子一号を降ろして店で店長を車に乗せて帰宅。ホテル用レトルトカレーに、女房殿が焼いた豚トロを入れた即席家庭カレーで夕食。