古書店に送られてくる箱は、本の箱船なのだ

きのうも宅配買取が10箱ほど届いた。しかし、一昨日の分が3人、合計10箱あるので、まずそれを開けた。
家の建て替えや、結婚など、人生の節目で本を整理する人も多いだろう。そういうときに、親や祖父祖母が置いていった古い本などは真っ先に捨てられてしまいそうだ。古書店に送られてくる箱は、捨てられる運命から救われて、新たに社会に復帰していく本の箱船なのだ。
本の価値は見た目だけではわからないので、どんな本と選ばずに送ってくださいと、お客様には頼んでいる。最近の専門書なら、たいていそれなりの値段になるが、古くて価値のある本は、買いたい人が多くて品物が少ない、つまり希少価値のある本だから、実際には滅多に出てこない。珍しいからこそ値がつくわけで、珍しい物がたくさんあったら矛盾である。
というわけで、古物の買い取りは玉石混淆というより石山の中からたった一つの玉を探す仕事で、はずれ、はずれ、はずれ、と続いて十に一つ当たりが出るかでないかというようなものである。
宅配の買い取りもどんどん送られてくるけれど、古くて価値のあるものが混じっていることは、それこそ十か二十に一つだ。それも、一度に何十冊、何百冊と入っている中で一冊を探すのだから容易ではない。見落とせば、当店だけではなく送ってくださったお客様にも損をさせるので緊張の連続である。
ただし、玉は玉仲間といたがるようで、掃き溜めに鶴というように、箸にも棒にもかからない本に紛れて宝玉が輝いていることは少ない。ありそうな所に、何冊もまとまって隠れていることがほとんどである。
そのありそうな場所所を見分けるのが、古本屋の経験と勘だろうか。はたまた、愛書家の好みを知り、どんなものがお宝とされているかを知り、あるいは今後お宝になりそうかを予想するのが古本屋の努力と技術だろうか。
お客様のお宅に出張して本棚を見ると、たいていは、大事そうにされていないところ、時には「捨てるもの」として玄関脇に置かれたり、袋の中にしまわれたりしている中にこそ、そういうお宝本は鎮座しているのである。
宅配買い取りでは、お客様が選んだ本しか送ってくれないの。本当に重要な本はこの箱船にも乗れず、お客様宅の引っ越しやリフォームという洪水に呑まれて、廃品業者の手に渡ってしまったのではないだろうか。
そういう心配があるから、とりあえず選ばずに送ってくださいと重ねて言うのだが、石の山があまりに高くなってくるとこちらも音を上げたくなる。とくに春から初夏にかけては繁忙期なのでなおさらである。
そこで一言だけ愚痴を言っておこう。「古い本」は大歓迎です。古いとは、世代を越えているという意味です。古いとは汚いということではありません。
洋書が多かったので、8時過ぎまでかかって前日の分まで終わらせ、当日届いた分は手が着かずにきのうは終了。
今日は11箱届いた。昨日届いた分を全部終わらせる予定だったが、昨日の3箱を開けてたのち、都合で今日届いたうち4箱を先に開ける。昨日の7箱はやれなかったが、6時半に帰宅。
今夜には息子一号も帰ってくるので、明日は久しぶりに出張買取。先週木曜日以来だから一週間ぶりだ。杉並、武蔵野、中野の3件で合計1500冊程度の予定。