知識人とのおつきあいもよくあるが、自分をその仲間と考えるとたいへんな失敗をする

本日の出張買取は3件。一件は距離が少し遠いし、別の一件は量が多そうだったので、近所で量も少なそうな所からMT店長代理と一緒に早めの出発。ところが、100冊と聞いていたはずが何故か1000冊あまり。お茶の本を除くと一般文芸書が多いが、選んで一部だけ買い取るのは申し訳ない。評価と支払いを済ませ、さいわい近所なので梱包要員として店から応援を呼ぶ。
昼飯は松月庵で簡単に済ませて世田谷へ。玄関で、明るいシーズーが踊りもだえて歓迎してくれる。
歴史関係のなかなか貴重な本があるが、函やカバーなどを全て捨てた上に手製の図書館ラベルのようなものを貼り付けている。収集機関への販売はむずかしいが、安く付けて売ればお客さんに喜ばれるだろう。損をしない価格で買わせていただく。300冊。
その間に、一件目の梱包が終わっているので、取りに行く。MT、UK、店長、私の三人で車に積み込む。人数がいるとさすがに速い。吉祥寺の街中を大回りして店の前に付けると、車に乗りきらなかった分を台車で運んだ二人が既に待っていた。
大急ぎで本を降ろして、仕分けは南歩に頼んで3軒目に出発。話し好きのご主人は、もとジャーナリストとのこと。一般文芸書やノンフィクションなどの読み物ばかりで、1000冊。吉祥寺周辺の作家、著述家さんの知り合いが多いようで、何度か買い取りに行った先生のお名前も出る。その内には既になくなった方もある。
「古本屋さんは、普通の商人とは違うだろう」とおっしゃってくださるが、我われが商人であることに疑問はない。文化人や知識人とのおつきあいもよくあるが、自分をその仲間と考えるとたいへんな失敗をすることがある。我われ勤労者にとって教養とは民主主義社会を生き抜くために必要な知識のことであって、教養それ自体が売り物になるわけではない。知識が目的になるとすれば、知りたい欲求を満たす、いわば消費としてである。