武蔵野班の班会があった 2

問題提起は班というものの有り様について、E書店さんからなされた。具体的には、班から抜けさせてほしいということだ。
東京都古書籍商業協同組合(以下、組合)では組合の行政組織を東、南、北、神田(千代田区)、文京(本郷)、新宿(早稲田)、中央線(中野区杉並区と多摩地区すべて)の7つの支部に分けている。さらにその支部の中を分けているのが「班」だ。支部に関しては組合の規約あるが、班に関しては何の既定もない。支部によって班の編制の仕方に違いがあるようだ。たとえば、北部は区ごとの班、南部は鉄道路線ごとの班になっている。
我われ中央線支部の班構成は警察の管轄区分がもとになっている。古物商を所管する役所は警察で、警察署ごとに「防犯協力会」というのを作っている。これがもとになって出来たのが中央線支部の班だ。
ほんの10年ほど前まで、組合費の徴収も銀行を介さず、班長が班会を開いて、あるいは班員宅をまわって手足で集めていた。組合の伝達事項は理事会から支部長会、支部長会から支部の役員会(班長などが集まる)、支部の役員会から班会という順に伝えられ、組合員の意見は逆の道筋を通って集められた。電話やFAXのない時代のやり方だ。現在では毎月の組合費の徴収こそ銀行引き落としになったが、他のことは昔のままだし、いまだに市場の清算は振り込みではなく現金手渡しが基本らしい。
中央線支部はとても広い範囲に広がっているので、今まででも集まるのが大変な場合が多かった。さらに近年では新古書店やネット書店の台頭で、多摩地区の古書店は壊滅的状況だ。人数も減り、残った人も多くが無店舗化したりして、班の統廃合が進んだ。結果、今まで武蔵野三鷹小金井の三市だった武蔵野班も西東京市、清瀬市などを含むようになった。現実にはみんなが集まるのは難しい状況だ。さらに西部ではもっとひどい状況で、武蔵野班以西では定期的に班会が開かれているところは無いそうだ。
つまり、組合の地方行政組織という本来の機能を、中央線の各班は既に果たせていないのだ。
組合に入会すると、住所によって所属する班が決まる。したがって、班は自由参加ではない。東京都に住民票があれば自動的に都民になるのと同じで、本人の意思にかかわらず班員となる仕組みだ。しかし、班が親睦の団体であることも事実である。葬式や病気の時に、会社も取引先も持たない我われが頼りにしてきたのは班である。最近では新年会をするぐらいだが、かつては家族ぐるみで旅行に行ったりしていたらしい。
班活動に積極的にかかわるかどうかはまた別の問題である。近所の同業者と協力して、古書という大海に船団で臨もうとするのもいいし、なるべく一匹狼でいようとするのもいい。だが、班を抜けるというのはどういう事だろう。葬式にも顔を出さないということか。班会にも顔を出さないしその他の活動にもまるで参加しない、という人は今までもいた。当たり前のことだ。ある日そうなる人もいるし、その逆もあった。だが、「班を抜ける」というのはまた別の問題だ。
実質的に班は機能していない。170件の中央線支部員のうち、定期的な班会が開かれているところに属する支部員は三分の一に満たないだろう。それでも、班以外に組合の決定に参加する方法は、年に一度の総会しかない。
我われは、組合のお客様ではない。組合は自分たちで運営するものだ。本来なら組合職員がやるべきだと思われる仕事を、班長をはじめとする組合員が肩代わりしている例も多い。しかし、そうしなければ、職員を増員して費用がかかるばかりではなく、組合や市場の運営が我われ自身の手を離れてしまう危険性もあるのだ。
長年、中央線支部では新宿支部と協力して西部古書会館を守ってきた。しかし、地区会館での市場は南部を除けばどこも運営が難しくなっている。西部市場も新宿支部が抜けて、実質的には麻痺的状況だ。地区市が盛り上がらなければ、支部の求心力も低下する。支部総会に集まる人は30~40人程度。役員はいつも同じ人が交代交代で役を取り替えているような状況だ。つまり、班どころか支部の存在意義もあやしくなってるのだ。
神田支部には若い本屋がどんどん加入している。店売りが難しくなってきたから、ブランド力があり市場から近い神田に事務所を持って通販や即売会を中心に考える人が増えている。神田支部は班も機能して、支部市(本部会館で行われる一新会)もそれなりに盛り上がっている。神田支部の発言力はもともと強いのだが、さらに高まっていきそうだ。
一般的な傾向としては、都心の人は主に市場で買う人で、郊外の業者は売る方が多い。今後、組合行政に何らかの工夫をこらさないと、バランスのとれた運営は難しくなるのではないだろうか。