買取は絶不調
埼玉は朝霞まで宅買に行ったが、こちらの評価額の三倍をかつてどこかの古本屋に言われたとかで、取引は不調。ほとんどが古書店で購入されたらしい本が2000冊で、めぼしいものには書き込みが多かったから、たしかに高額査定ではなかったと思うが、やはり3倍はありえないと思えた。かなり前の話なのかもしれない。書き込み本を分け、判型や時代を揃えて200冊ぐらいずつ持ち込めば、あるいは倍程度にはなるかもしれないが、大量の本を縛って持ち出し、車で運んで仕分けするという作業をコストに換算すると、やはり売値の4分の1、5分の1というような金額で買わざるをえない。しかし金額はともかくとして、雑多な本をキッチリ仕分けして、残すべき本をあるべき所に収まるように扱える本屋はそう多くない。気に入ったところをつまみ食いのようにして買えば、それは確かに高い評価を出せるだろうけれども。
いま、よみた屋には先月仕入れた大量の本があふれていて、店に付属する倉庫も外に借りている倉庫も一杯で、売場まで未整理の本がはみ出ている状況だ。そういうときに、系統だったものなら扱いやすいが、仕分けの面倒な本を大量に持ち帰りたくないという心理も多少働いていたかもしれない。
先週、休日を返上して行った大学教授の研究室の本が、下見の時の半分ぐらいに減らされていた。めぼしいものが無くなっていたので、そのまま市場に出してしまった。大量の予定だからトラックを仕立てて行ったのだが、運送代に毛が生えた程度の金額にしかならなかった。それ以来、買取は絶不調である。
体調もおかしくて、風邪のようなのだが熱が出でもなく、ただ疲れがひどくて眠りが浅い。したがって朝がとてもつらい。
そのぶん佐藤店長が頑張って、未整理の本をどんどん片付けていく。本の山が崩されて、次々に仕分けされていく様が土木作業のようなので、コンピュータ付ブルドーザーのようだと言ったら、機嫌が悪くなってしまった。それはほめ言葉にならないとのこと。僕は開発独裁を評価する者だが。どうも、言っていい言葉と悪い言葉の区別が付かず、いつも人を傷つけてしまうのが情けない。
今月号の『古書月報』を読んだ。水平書館さんの喘息には驚いた。あまり同業者で言う人は少ないが、実はけっこういるのかもしれない。僕も病気になったとき、カビなどの真菌に気を付けるように注意されたが、職業柄アレルゲンに囲まれて暮らしているようなもので、かと言ってお店だからずっとマスクをしているというわけにもいかない。
駱駝舎川村さんの毒舌も冴え渡っている。先日、川村さんが中央線支部機関紙の取材に来てくれたときは、お洒落で格好いいと佐藤店長が騒いでいたが、彼の書く記事は最近、洒脱を通り越して批評になっている。古書組合の組織も疲労してきていて、細胞たる班組織は崩壊、班会もほとんど開かれなくなっている。支部の役員会には欠席が目立ち、本部の役員会は形骸化しているし、総会ですら何の質問もなく終わることがある。こういう時代に文章での意思表示は貴重で、志のある方は是非とも機関紙誌に寄稿投稿して、組合の有り様に一石を投じていただきたい。