誰ひとり買わない本は図書館で一冊だけ保存してもらおう

出張買取4件。一件は店のすぐ前のマンションのようなので、息子1号に台車で行ってもらうことにして、まずは三鷹。文芸書など200冊。プルースト「失われた時をもとめて」ちくま文庫版の揃箱があるが、惜しいかな中味が何冊か欠けている。ほかにも残念な不揃あり。調布で児童書など。家庭文庫をやっていたという年配の女性。絵本や児童書があるけれど状態が少々悪い。それでも見るべきものはある。最後は狛江で洋酒天国など。
今日はブリタニカ百科事典を、学校が引き受けてくれたという話を聞いた。何かの事情(芝居のセットに使うとか)による、そのとき1回限りのことだと思うけれど、いまどき公共機関がその手の本を引き受けるのは珍しい。
図書館などの司書が、世の中に必要な本とそうでない本を仕分けするのはむずかしい。必要と縷々人を見つけて手渡すのは古本屋の仕事だ。我われは生活をかけてそれをやっている。しかし、その仕分けをするのは実際には我われではない。最終的にはお客様が、購入するかしないかという判断をして、これが結果として仕分けになる。目利きは、その結果を予想することであって、実際にやるのはお客様だ。
売場に出して世の中に問うという過程をへずに、古本屋であれ、またもとの持ち主であれ、世の中に不要の判断をするのは不遜であると、昨日の座談会で日月堂さんもおっしゃっていた。
古本屋では誰でも本が買える。買うという一票を投じることでその本は次の時代まで生き残る。誰ひとり買わない本は世の中から退場する。古本屋は民主的な場なのだ。