こんな事をやっている場合ではない
今日の午前中は古書組合の班会があった。よみた屋は東京古書組合の「中央線支部」に属するが、支部の中を更に細かく分ける「細胞」が班である。
班会といっても、班員全員が参加するわけではない。大部分ですらない。むしろ一部の人によって運営されているといった方がいい。集まるのはほとんどが現役の一線を退いた先輩達だ。支部の組織自体が弱体化して、かつては警察の管轄ごとに分けられていた班も合併で大所帯になり、顔もわからない人がいる。
それでも、支部の行政を支えて組合員の意見を吸い上げる組織は、今のところ班しかない。班会に出てきてくれない班員の考えを斟酌しつつ、班長は支部の役員会で末端組合員の立場を伝える。支部長も班の情況をわかっているので、想像力で補いながら支部行政の手綱を取る。
今朝、共同住宅の崩壊しつつある管理組合に関するニュースを見た。僕は「日本の古本屋」に係わっているだけで、支部行政を執る立場にはないけれど、が、人ごとではないと感じた。
「日本の古本屋」といえば、きのうの朝はその次期リニューアルに関する問題などでほとんどの時間を使ってしまった。ここのところ、午前中は毎日のようにお店以外の用事ができてしまい、仕事パワーが半減である。今月は、過去最悪の売上を記録しそうだというのに、こんな事をやっている場合ではない。