バスタブと湯船
休日の快楽といえば、昼間明るいうちに一人で風呂に入ることである。みなさんが働いていらっしゃるときに、エプロンをほどいてのんびりさせてもらうのは、ちょっとだけ罪悪感の混じった楽しみだ。
入るのは自分だけで、後はお湯を抜いてしまうのだから、ホテルの風呂でやるように、浴槽のなかで頭や体を洗ってしまおうかと誘惑される。洗い場に出て、寒さに耐えながら地肌をこするより、湯船のなかで暖まりながらの方が、毛穴が開いて頭皮にも良い気がする。何より面倒がない。いつもとは違うやり方をすることで、ちょっとした非日常感も味わえる。だが、これは罪悪感が勝ってしまって、まだやっていない。
ヨーロッパのホテルに泊まるときは、湯船があるかどうかを予約の時に気にするが、洗い場のないバスタブは日本人が考える湯船とは違うものだ。少し熱めの湯につかって体を温め、洗い場で体を冷ましたらまた湯につかるというのが日本人の入浴様式だ。湯船の湯は次の人が使うからきれいに保つ。あの大きな桶に入ったお湯を共有するというのが風呂の本質であって、自分だけ体を洗ってお湯を流して捨ててしまうバスタブは風呂桶ではない。湯をためて使う日本人は水を無駄にしているなど、誤解も甚だしい。
イタリア旅行をしたときに、うっかりしてシャワーだけの部屋を取ってしまった。いや、シャワーだけではなかった。壁から生えたシャワーでは下半身に下から湯を当てることができないからビデが設置されている。イタリア人はビデで足も洗うと聞いたので、やってみたらけっこう気持ちいい。バスタブがなくても、ビデがあれば充分なんじゃないかと思った。彼らにとっては、むしろビデの方が重要らしい。
形が似ていても、やり方を知らないと全く伝わらないことは、結構あるのかもしれない。フランスでは日本食がブームというようなニュースをよく目にするけれど、「味の付いていないご飯とおかずとを一緒に食べて口の中で混ぜる」という食事様式が理解されていないので、日本食は塩辛いなどというピントが外れた評価を受けてしまう。お風呂のお湯も、日本人の入り方を知っていれば、シャワーなどより遥かに節水なのだが。