書こうと思っていた年頭言
年始の巻頭言を書こうと思っていたら、もう4月である。新学期になってしまった。
4月から、浪人していた息子1号は大学生になって、下宿するようになった。学生アルバイトのH子とS字郎が卒業にともなってお店をやめた。代わりにYR子とSN子を雇った。
本当はS字郎は大学院に行くのでやめないという話で、新入店員との「つなぎ」役としてしばらく前に採用したのだが、事情が変わってやめることになった。仕事の教え損である。けれど、やめるはずだったYS子が、やはり事情が変わって続けてくれることになったので、何とかなった。禍福はあざなえる縄のごとし、人間万事塞翁が馬である。と、言うほどのことでもないが。
YS子とA副店長を連れて、近所の安い焼き肉屋に行ったのだが、50分待ちと言われたので、いつもの「佐賀牛・伊万里」に行った。以前は焼き肉何でも半額セールをいつもやっていて、リーズナブルな店だったのだが、最近は高級路線に転向したらしいので、足が遠のいていたのだが。行ってみれば、ほぼ満席で、一つあいていたテーブルに何とか座ることができた。
メニューはカルビだけでも値段別に5、6種類あって、一番安いものを頼んだのだが、充分うまい。高級路線はあたっているようだ。今度から店長代理になったA男は「胸騒ぎがする」とかいうオカルト的理由で来なかった。
書こうと思っていた年頭言だが、「業界と調和する仕事」ということを考えていた。業界というのは古本屋のことではない。いや、古本屋も含むのだが、新刊書店、出版社、取次店、読者、図書館、印刷業者、製本業者、著者、デザインや編集という形で本に関わる人たち、本や本屋の宣伝や紹介をする人たち、その他日常的に本に関わるすべてに人たちだ。
我われが仕事をする、職業を持つというとき、わたくし一人だけでその仕事を成り立たせることはできない。社会と関わり、必要とされてこそ職業として成立する。しかし、我われのような小売店は顧客が一般の消費者だし、ましてや古物商の場合は業者からの仕入も少ないので、ついつい自分のほんの身の回りで受け入れられるかどうかだけを考えてしまう。
業界と調和する仕事とは、とりあえず今日のお客さんに本が売れるということだけではなく、直接には当店と関わらない多くの人、今はまだ関係のない将来の人、広い社会と歴史にとって調和し、価値のある仕事をしていきたい、とまあ、そんなことを正月に考えたのだが、あまりに大層でいささか誇大妄想気味なので、うまく書くことができなかった。つまり、理念を実際の作業にどう結びつけるかがあいまいだったわけだ。それでも、自分への課題として、理想だけでも掲げておくためにここに記す。