組合行政
やはりというか、班会にはぼくより年上で、かつ業歴も長い人ばかりしか来なかった。地域の同業者で助け合っていくという、この業界の良き伝統は失われたのかもしれない。
実際、多摩地区ではほぼ「班」という組織は壊れてしまっている。武蔵野班だけが例外的に残っていたのだ。しかし、その例外がなくなるもの時間の問題だろう。班の誰かの葬式があっても、もう誰も手伝ってはくれないのだろうか。ぼくは、何かの時には古書店仲間の助けがあると思っている最後の世代だ。
新世代古書店の先陣を切って来たつもりだったが、むしろ遅れてきた旧世代なのかもしれない。
班がいらないとなれば、中央線支部もいらないということになるだろう。市町村がなくなれば都道府県もいらなくなるということだ。組合の行政は本部がすべてやるようになるかもしれない。実際、現在は支部行政といっても、高円寺の市場が廃れている現状では、ほとんどやることはないのだ。
支部や班の行政に関わりたくない、と思っている人も、神田の市場では元気に取引していたりする。市場だけあればいいと思っているのだろう。あとは「日本の古本屋」か。
しかし、組合は本質的に互助組織だ。市会だって自分たちで運営しているのであって、事業手数料を払えば「お客様」でいられるわけではない。上に強力な業者が多くいて、ほんの端っこに参加させていただいている、というよな状態のうちはいいが、だんだん中堅組合員になれば、市会や組合のありように貢献していかなければならないときが来るのではないか。他にはやる人はいないのだし、やり方だっていつまでも同じでいいわけではない。自分たちのやりたいようにしたいではないか。
組合関連では全く取引もしない、商売は自給自足で同業者との横のつながりは必要ない、という人ならいざ知らず、今後業界をしょってたというという人は組合行政にも関心を持ってほしいものだ。