仏さんが食べたんだよ

秋葉原で事件があった場所に献花台が作られている。その献花台には花だけではなく、ペットボトルの飲み物、お菓子などが大量に(数万単位?)備えられている。週に一二度千代田区がかたずけているというが、この飲食物をホームレスの人などが、持ち去っていくらしい。
食い物があって飢えた人がいれば取るのが当然だと思うが、テレビではこの行為を「心ない人」の犯罪、という形で報道していた。隠しカメラで献花台からペットボトルを取る人を撮影して、立ち去る間際に声をかけて、泥棒だと追及する。
テレビ局の若いアナウンサーだかディレクターだかは、高い給料をもらっているのだろう。社会の成功者と言ってもいい。それが、何の財産も持ち合わせず、他人が放置したものを拾って飲み食いしている人を責めているのだ。大量に持ち去って売りさばこうというのではない。手に持てるだけ、今日食べる分だけを取っていく人たちを、である。
放映しているのだから、テレビ局全体の判断として、正しいと考えて報道しているのだろう。スタジオのアナウンサーは、千代田区の献花台だから千代田区の所有物であり、窃盗の可能性がある、とまで言っていた。しかし誰も千代田区に供えたわけではない。管理責任があるかもしれないが、自由に処分する権利があるわけではない。千代田区の所有権に対する侵害だというのは、屁理屈に近い。
人が捨てたり残したりしたものを食べれば、お金がかからない。しかし、ほとんどの人はそんなことはしない。プライドが傷つくからだ。毒や汚いものが混ざっていないとも限らない。悪意の人がいたずらするかもしれない。それでも、そうしなければ食べられない人もいる。この事実を何とかするのが正義であって、貧しい人が自分が貧しいということで責められるべきではない。
なぜ、一番弱い人たちが、状況に強いられて屈辱的行為をしていることを、テレビ画面に映して責めなければいけないのか。視聴者は共感しないだろう。大組織が社会の底辺に押し込められている人をいじめるすがたなど、決して目に良いものではない。テレビ局には、個人では立ち向かえないような大きな悪とたたかってほしい。
足りている人が神や仏に供え物をし、足りない人が神や仏からいただいて食べる。当たり前のことではないか。あらゆる社会で昔からしてきた、特定の人に負い目を感じたり与えたりせずに、財を再配分するシステムだ。宗教の最良の面である。
供え物がいつの間にか消えていると、仏さんが食べたんだよ、と教えられたではないか。