一代の蔵書、全部引き受けます
今日は出張買取2件。いつもの女子大と初めて行く中野のお宅である。
中野のお宅では、本が大量にあったのだが、途中で車が一杯になってしまい、後はゴメンナサイということになった。最近は、積みきれずに全品買取を断念することが多くなってきた。
よみた屋の車は、NOAHというトヨタの車で、商用車ではないので、トラックのようにたくさん積むことができるわけではない。それでも、一杯にすれば、500キロ以上は積んでいると思う。一本20冊の縛りで、50本はらくに入る。近所なら、7、80本乗せることもある。千冊をゆうに超える数である。
それでも、入りきらないのは、一気に本を片付けようとするひとが増えたからだろう。本を読む人の世代交代と関係あるのかもしれない。
流通価値の少ない本を残して、顧客さんに処分してもらうのは、本当は申し訳ない。それらの本に古書としての値段がないのは、一部にはわれわれ古書業者の力がたりないせいもあるのだ。(すべての本を次の世代に残すことはできない、という絶対的な理由もある)。
本来ならば、残す本と残せない本の選別は、われわれの店の中で、本を買ってくださるお客様とともにしなければいけないことだ。経験によって、ある程度予想がつくからと言って本を売ってくれるお客様のお宅でしてしまうのは、あまりいいことではない。
しかし、コスト的および体力的には、そのほうが楽なのも事実だ。売れる見込みの少ない本を2階から降ろして運び出して、家賃のかかる倉庫や店頭に置いて、後でお金を払って処分するより、はじめから引き受けないほうが得に決まっている。
お客様から見ても、確実に売れる品物だけを選別して、高額で(たとえば売価の5割程度で)買って行くほうが、全部ひっくるめて結局は選別した場合と同じような金額で買っていくより、信頼できる古書店に見えるかもしれない。
よみた屋は「なるべく全部引き受ける」ようにしてきた。だが、古紙の引取りが有料になり、こちらの体力がだんだんと減っていき、その分経験が増えてきたので、そろそろ方向転換を考えようとしていたところで、全部引き取りのニーズが高まってきた。
悩むところである。