出品61点
きのうの店番は、店員Rと男店員M、そして息子Nが久しぶりに帳場に立った。ピンチのときの家族である。
午前中はバート・ランカスター主演のアメリカン・ニューシネマ「泳ぐ人」を見る。ここで描かれているのはアノミーなのか。現実は幻想だ、というのは、わが師岸田秀のことばだが、その幻想が共有されることによって「現実」が作られるのだと僕は思う。共有していると思っていた現実が、自分だけの思い込みであったとしたら。
昼ごはんは残り物の味噌汁で作ったおじや。卵の半熟度が絶妙でうまし。午後から店に出勤。女店員Hを連れて神田の古書会館へ。
行きの音楽はマクリーシュとリヒターの聞き較べでバッハ「マタイ受難曲」。冒頭の曲は受難物語全体の要約で十字架を運ぶキリストの歩みをあらわしていると言われる。マクリーシュの演奏は非常に早くて、リズムはスイングするよう。デキシーランド・ジャズの葬送行進のようだ。リヒターは荘厳で、文字通り鞭打たれ傷ついて足を引きずるイエスの歩み。
ちなみに、受難曲とはキリストの生涯のうち、逮捕され・裁判にかけられ・処刑され・復活する、という一連の物語を劇音楽化したものだ。マタイ受難曲というのは4つある福音書(聖書に収められたイエスの伝記)のうち「マタイ伝」の本文を使用した受難曲のこと。いろいろな形式があるが、バッハの場合、聖書の文章からとられたレシタチーボ(語りと歌いの中間)と、コラール(賛美歌のようなもので、合唱)と、自由詩のアリア(技巧的な歌曲で歌詞の繰り返しがある)の3つの形式の曲が繰り返されて進行していく。
本日の出品物は61点。約2千冊。Hも僕もへとへとになって、帰途に着く。これでいったいいくらになるのか。
夕飯は煮豚と野菜の汁漬け。煮豚のスープ。夜に同業者Iが訪ねてくる。猥褻図書頒布の疑いで収監された同業者の話を聞く。数週間にわたって留置されている人もいるらしい。ほとんど責任がないと思われるアルバイト従業員にまで、厳しい処分が下ったそうだ。
われわれ本屋は、扱い方によって薬にも毒にもなる「本」と言う危険なものを商っている。一丁の銃は人を殺すことがあるが、一冊の本は国家を転覆するかもしれない。恐ろしい商売に足を踏み入れたものだと思う。