花のお茶

きのうの朝飯はシシャモ。わけぎ(または浅葱、もしくは万能ねぎ)の味噌汁。圧力鍋で炊きたての玄米。
ニュースショー(特ダネ)を見ているうちに9時を過ぎる。前日の国会での民主党菅直人と安倍総理とのやり取り。従軍慰安婦に関する河野談話を踏襲するとはどういう意味においてか、著書に中国との価値観の違いを述べているが、政治的にはどういう立場をとるのか。などという質問。管の総理をリベラル方向に引き戻そうという質問に対して、総理は対決姿勢ではなく、自分は言われているほどタカ派でも右翼でもありませんよ、という柔らかな態度。
保守と革新の立場が完全に入れ替わっているのがはっきり見える。
開脚スクワット50回、HGフォー50回、横臥両足上げ(側腹の筋肉を引き締め、腰のくびれを作るとともに、ヒッピアップ効果がある、とファラ・フォーセットか誰かが言っていた)。
雨がひどい。ゴアテックスを使用したノースフェイスの高性能カッパは店に置き忘れてきてしまった。仕方なく店長Sのお古の傘をもって出る。風がひどくて数十メートル歩くうちに、服を通して湿り気が伝わってきた。ちょうど後ろから来たムーバスに乗り込む。100円也。
中はひどく込んでいて、高校生ぐらいの男が立ちはだかり、料金箱の前から一歩も進めない。無理に方をねじ込むと、最前列にミニスカートの痩せた女性が座っている。ひどく顔をねじっているので、髪の毛しか見えず年齢は不詳だ。湿った傘が足に当たってしまって申し訳ない。傘の花柄が恥ずかしい。
店に着くと前日に消し忘れた空調が、ごうごうと音を立てていた。ファイルメーカーのインストールについて、サポートに電話する。同様の状態について報告は受けているが、メーカーでの再現性はなく、根本的な対処法は不明とのこと。
レジストリエディタで、ファイルメーカーについての部分を削除しようとしてもできない旨を話すとそんはずはないとの答え。と言ってもねえ。指示された、新アカウントを作ってのインストール(同じ現象になった)、sefeモードでのインストール(widowsインストーラーにアクセスできないと言われた)は失敗。こちらの状況をインタビューされただけで終わり。
昼飯は近所にオープンした立ち食いすし屋「魚河岸日本一」のオープンセール、全品半額。同じ店が、今は日大のものになった、主婦の友社ビル(カザルスホールの建物)の一角にあった。そこで何度か講談の田辺一角さん(古本屋もやっている)に出くわし、講談シューベルト一代記の構想などについて伺ったりしたものだ。今は座って食べられる店はないのかしら。
午後からは、棚の入れ替えの続き。今月になって、よみた屋の棚配置は大変貌を遂げたのだ。かつて文学があった場所には歴史の本が入り、芸能だった場所は社会科学に変わった。社会問題の裏が歴史、その向かいが社会科学、その隣が自然科学、ということになった。文学と芸能は美術の向かい側に移動だ。真ん中は心理と精神世界と宗教なので、芸術・人の心の内面(精神)・人と人の間(社会)という3つのまとまりになったわけだ。
今週市場調査の済んだ買い取り価格査定に返事を書く。
不動産会社のフリーペーパーから取材依頼あり。高原書店時代の同僚、華子さんから電話あり。あまりの変貌に、最初は全く誰だかわからず。聞けば事故で、しばらく半身不随のうえ記憶喪失だったとのこと。
hananootya.jpg
8時帰宅。夕飯は豚肉のからみそ焼き、ナスの田楽。野菜スープ。一番絞り。目にたこができた「エアフォース・ワン」を見ながら。くだらないと思いつつ、つい見てしまうよくできた話。しかし、今となってはジョージ・ブッシュ的な対テロ戦争宣言はいただけないし、悪者の歌がインターナショナルなのはアメリカだからか。
おととい食べたのは、キャベツではなく白菜だとしかられた。そのぐらいの区別もつかないのか。味のわからん奴。そういえば確かに白菜の味だった。ロールキャベツのような姿をした料理だったので、ついキャベツと言っていってしまったのだ。
きのう息子Nに話した、ベイトソンの学習の階梯理論が気になって、埃まみれの『精神の生態学』を取り出す。ベイトソンは人と人のコミュニケーションの話し、個体の話、進化の話、自然の話を縦横に語るので、いささか乱暴のように思っていたが、論理階梯(ロジカルタイプ)を知っていたので、レベルの違う話を厳密に区別しながら関連させて扱うことができたのだと、いまさらながら気がつく。
思えば、ベイトソンは店長の佐藤が20歳だったころの私に教えてくれた著者だ。彼女はR.D.レインを読んでベイトソンを知った。オペラ『結ぼれ』の原作者、反精神医学の旗手のレインだ。あの頃の和光大学で臨床心理学を学ぶのは、反精神医学の影響に非常に近いところに身を置くことだった。
そこに僕らの原点はあったのだ。いまだに人の心に関する本や、人間科学の本を売ることで生活を成り立たせ、そして、反精神医学・反民主主義・反科学といった主流な物事に抵抗する本がよみた屋の特徴に成っているのだから、大学で学んだことは本当に役だっている。
高校生の頃すでに人格は形成されていたように思っていたが、それは間違っているかもしれない。少なくとも職業人としての私を今成り立たせているのは、大人になってからの知識のようだ。高校生までの僕は、何を考えていたかといえば、SFだ。高校2年で数学の成績が悪くて文系に割り振られるまでは科学者になりたいと思っていた。だが、よみた屋創業当初は主要取り扱い品目の一角を占めていたSFや科学は、今でも力を入れているが商売にはなっていない。むしろ、小学生のとき興味あったオカルトや宗教の本は重要である。不思議なことだ。
夜食にはスイートポテト饅頭と花のお茶。ガラスのコップに入れたお湯に浮かべると美しく花開く。写真は時間がたってしまったので、色が悪い。茉莉花茶かと思ったが、緑茶に桃の花を縛り付けたものらしい。
就寝の音楽はバッハ「マタイ受難曲」ヘレヴェッヘ新盤。
Herreweghe.jpg