馬角斎先生談論風発

馬角斎先生は学生のころから教授と間違われた。何年も浪人したうえ、留年と転部を繰り返したから、ぼくが入学したころには一回り近くも年が離れていた。ぼくらの共通の師は、彼のようなのは大学に行ったとはいえないのだと言った。登山者は、下りてきてはじめて山に登ったことになる。登りっぱなしで、降りてこないのは遭難である。「君は大学に遭難したのだ」と彼のために嘆いた。
そのころ自作の詩集を、校門の脇で顔見知りの学生に手渡していた彼は、ぼくの目にも、講義のレジュメか何かを配る講師のように見えた。十年以上を学生気分で過ごしたはずの彼は、年齢以上に老けて見えた。学生寮を追い出されたのがいけなかったのかもしれない。
大きな頭が禿げ上がっていて、学内ではいかにも目立つ存在だった。
百科事典の編集者だったぼくらの共通の師も数年前になくなった。そのことを、ぼくはずっと知らなかった。たまたまうちの店に寄った元百科辞典編集者のお客さんから聞いた。
最近になって、それを伝えると、馬角斎先生は「そのようですね。」と短く言った。彼の目はぼくのほうを見てはいなかった。